「サウダーデ」 / 久保田早紀 ("SAUDADE" by KUBOTA Saki)
久保田早紀の 3rd アルバムで,彼女のキャリアの分岐点となった意欲作。 前半(LP レコードのA面)はポルトガルで録音され,ある意味,異国路線の集大成的な趣もあります。
本作では,前半(以下 “A面”)と後半(“B面”)とで,明確にコンセプトが異なっています。 ポルトガルで録音され,アコースティック楽器のみの伴奏で演奏された特別企画とでも言うべきA面と,日本で録音され,従来以上にニューミュージック/歌謡曲の王道的な音作りにシフトしたB面です。
まず,A面について。
久保田早紀の初期の諸曲が,ポルトガルの民族歌謡であるファドに取材したものであることは良く知られています。 もちろん,彼女の作る曲はファドそのものではなくその影響を自分流に消化したものとして提示されていて,歌詞の舞台設定なども明確にポルトガル的というよりは「想像上の異郷」とでもいうべきものになっているというのは,「夢がたり」のレヴューでも述べたとおりです。 しかし,曲の書き手としてはポルトガルという国に特別な感情や憧憬の念を持っていただろう・・・というのは想像に難くありません。 ポルトガル録音はそういうこだわりの具現化みたいな感じがあります。
それはともかくとしても,4本の弦楽器によるアコースティックな演奏が全編を貫くA面は,企画色が強いながらも出色の出来を示しており,トータルな魅力ということでは,彼女のアルバム中随一という感じさえします。 「夢がたり」は確かに名盤ですが,率直に言って曲ごとの出来にばらつきがあるように思えて,実際に聴くときは好きな曲を選んで・・・ということになってしまいがちなのですが,それに対してこのA面は聴き始めたら最後まで通して楽しめます。 加えて,2nd アルバム「天界」の一部の曲に感じられた息苦しさのようなものはなく,どこか突き抜けたような空気があります。
冒頭,正直なくもがなという気がしないでもない前振りがあり,それに続いて「異邦人」が再演されます。 この再演バージョンでは,シンプルな伴奏が曲の持つ「素の魅力」を存分に伝えています。 また,この曲に限ったことではありませんが,歌唱そのものも 1st アルバムの頃に比べて遥かに安定感・説得力を増しているということも特筆すべきでしょう。 僕はヒットした“あの”バージョンよりもこちらの方が遥かに気に入っています。
続く4曲は書下ろしですが,どれも素晴らしい出来です。 過去2作における曲作りでは,異国情緒と言っても「どこにもない架空の異郷」という感じを漂わせることによって物語性を演出していたように思えるのですが,ここでは(ポルトガル録音ということを意識してでしょうが),「アルファマの娘」「4月25日橋」というようにポルトガルの具体的な地名などを敢えて盛り込み,また,使われている言葉や比喩といったものも,どこか素朴で力強い印象を与えるものになっていて,舞台の具体性や伴奏の弦楽器の響きと相まって,より「地に足の着いた」楽曲として響いてきます。 異国の民謡の日本語翻案だと言われたら信じてしまいそうな曲ばかりで,そのある種“土着的”な感覚は,同じ「異国的」という言葉で括れるものでありながら,明らかに過去の作品とは質の異なるものです。 恐らくは意識的にそういう曲を書いたのだろうと思われ,ソングライターとしての力量を改めて感じさせられます。
祝祭的な「18の祭り」や,これまでも繰り返し採り上げてきたモチーフに具体的な舞台設定を与えたかのような「アルファマの娘」もいいですが,個人的には深い絶望感を歌う「4月25日橋」の暗さも気に入っています。
(余談ですが,少なくとも現在の 4月25日橋は,この歌から想像されるようなものではなく,極めて近代的な形式の橋だったりします。(^^;)
かくも素晴らしい内容であり,僕自身,久保田早紀のアルバム中トータルとして一番好きなのはこのA面と言ってもいいくらいなのですが,結果的にはこれが彼女の“異国路線”とでもいうべきものの集大成となりました。 どういう意図がそこにあったのかは分かりませんが,これ以降,久保田早紀の音楽性から異国的な要素はほぼ見当たらなくなり,当時のニューミュージック/歌謡曲の王道的な方向に完全に移行します。 ・・・ここで一区切りつけて,つきまとう「異邦人」の影を払拭したかったからかどうかは分かりませんが,とにかく,アーティストとして他に類例のない特徴を形作っていた大きな要素の1つがなくなったと見ることもでき,今から考えると,かなりもったいなかったように思います。
一転して,B面は日本での録音であり,彼女の音楽性としては新展開と言えるオーソドックスな(ニューミュージック/歌謡曲的な)曲表現を印象づけるものになっています。 前作「天界」でも,「真珠諸島」あたりに片鱗がうかがえましたが,そうは言ってもここまで大胆かつ全面的な路線転向はやはり驚くべきことであり,当然,賛否両論あるものと思います。 僕の意見も「残念だ」ということになるのは上で書いたとおりなんですが,すごいのは,このB面のクオリティが決して低くないことです。
新展開の幕開けを告げる表題曲は,静かな境地を感じさせるバラードの傑作で,彼女のバラードではこの曲こそ最高と評価するファンも少なくないのではないでしょうか。
続く曲も粒ぞろいですが,シングルカットされた「九月の色」などはあまりに当時のニューミュージック/歌謡曲のサウンドなので,今の耳で聴くとちょっとツライ感じもします。 逆に言えば,当時の音を楽しんで聴ける人なら問題なく楽しめる佳曲が並んでるとも言えます。
歌詞は暗さを湛えたものが多く,「憧憬」などはかなり沈んでしまうのですが(21歳になったくらいでそんな絶望していてどーする!・・とツッコミを入れたくなる (^^;),それだけに,最後にやってくる「ビギニング」にはある種の感動を覚えます(ただ,細かいことを言えば,この曲における g ソロはちょっと納得いかないんですが)。
また,音楽的方向性が変わっても,独特の跳躍感を持った美しいメロディーは変わっておらず,その点が「久保田早紀の曲」であることを特徴づけています(僕がB面を聴き続けていられるのも,このメロディーラインの素晴らしさに負うところが大きいです)。
A面とB面とで音楽的に異なる意図のものを収録するというのは, LP 時代にはよくあったことですが,アーティストのキャリア全体の中で,(それ以前のアルバムから)A面までと,B面(とそれに続くアルバム)という形で真っ二つに音楽性が割れるのはかなり珍しいことかも知れません。 2005年の今となっては,当時主流に近かったはずのB面のほうが(時代性を感じさせるために)聴き手を選ぶものになり,企画色の強かったはずのA面のほうが(展開されている音楽の持つ普遍的な要素により)逆に多くの人が聴けるものになっているように思います。
・・・いずれにせよ,一度は耳にして損のないアルバムでしょう。 機会があったらぜひ試してみてください。
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