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〜 STAMPEDE,活動の記録 〜

 

1996年    SUYAMA (g, vo), WATANABE (g, vo) が中心となってバンド結成。
1997年 8月 何度かのメンバーチェンジの後,SUYAMA (g, vo), WATANABE (b, vo), IZAWA (dr, vo), JUN (g, vo), TAKI (key) の体制になる。
1998年 2月 ライヴの前哨戦として,"Roland バンド・パラダイス" に出演。このときのバンド名は,"ISW & KT"
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持ち時間 15 分・曲数2曲という厳しい条件だったが,全く知り合いのいない客席からかなりの好反応を受け,気を良くする。
なお,帰り支度をしながら観た次のバンドは「くまちゃんず」という地元の学生達(?)のバンドだったが,voが被っていたクマのかぶりモノをめぐってステージ上で口論を始めるというアバンギャルドな展開で笑えた。
 
1998年 4月 バンド名を STAMPEDE に決定。
1st ライヴ: WALK OUT @宮地楽器 Zippal Hall(御茶ノ水)。
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トップバッターで出演。 概ね好評だったが,司会のおねーちゃんに苦戦。 (´・ω・`)
 
1998年10月 IZAWA (dr, vo) 脱退,後任として TATEISHI (dr, vo) が加入。
1999年 5月 2nd ライヴ: WALK OUT @宮地楽器 Zippal Hall(御茶ノ水)。
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前回の対おねーちゃん戦に苦戦したにもかかわらず,セッティング・撤収などの面倒な労働が要らないという安直な理由により,性懲りもなくトップバッターで出演。 概ね好評であった。 制限時間いっぱいになるという計算のもとに演奏して司会のおねーちゃんのしゃべり攻撃を封じ込める作戦に出たが,やはりおねーちゃんは手ごわく「これからお店?」というような超ミニで反撃してきた。 _| ̄|○
我々の劣勢を見たバンド関係者からは「あのおねーちゃんと対決するならここには出たくない」という声が続出。
なお,この日の2番手は,茅ヶ崎の吟遊詩人,スズキさん。 我々ががんばって宣伝したおかげでそれなりに埋まった客席も,スズキさんのすさまじいオリジナル曲の波状攻撃を前に三々五々撤退し,見る見るガラガラになった。 この顛末に加え,前回に比べてステージ上も機材で狭くなってセッティング自由度が下がり,PA もバイトのねーちゃん達に替わっており,催し自体なにかとグレードダウンした感があったため,次回は違う場所に出ようということで,ついにおねーちゃんとの決別を決心する。
 
2001年 5月 転勤のため脱退した TAKI の後任として,ARITSUKA (key, vo) が加入。
この前後から,メンバーの仕事などにより,活動が不安定になる。 特に,転勤後もがんばって遠方から参加していた TATEISHI がついに脱退した後は,メンバーが固定しない冬の時代が続いた。
 
2003年 7月 SUZUKI (dr) が加入,久々に体勢が整う。
2004年 1月 久々のライヴ @Welcome back (大塚)
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相変わらずトップバッターで出演。 昼間は某高校で教鞭を振るっている SUYAMA の「担任しているクラスの生徒達が卒業する前にライヴを見せたい」という希望により,急遽企画された。 その結果,客席は,若い層と,そろそろ大変なことになっている層(失礼)との2極分化が起こったが,実は予想に反して,演奏中元気な反応を示したのは後者であった。 学校の文化祭では異常な盛り上がりを見せる高校生諸君も,ライヴハウスと言う異空間にトラップされて,聴いたこともない(タテノリとは無縁の)音楽を聴かされるという苦行に,ピクリとも動けなかった。 ステージから見る彼らは椅子の上に正座しているかのようであった。 (´・ω・`)
若年層の予想外の反応に驚いた我々ではあったが,大過なく最後まで演奏した。 この日の演奏が「高校生活の楽しい思い出の1コマ」に入り込めたのかは定かでない。
 
2004年 7月 SUYAMA Wedding Party @Tokyo John Bull (千代田区)にてライヴ演奏
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祝 SUYAMA 結婚! ということで,結婚式に続いて行なわれた Wedding Party の目玉企画として演奏した。 「それをライヴというのか?」という話もあるが,50 人からいる客が我々の演奏をじっくり聴いているというこの状況を,ライヴと言わずして何と言おうか。(`・ω・´)
 
まず通常のレパートリーから3曲演奏したが,さすがに場所柄の問題もあるので,ドラムを入れつつもアコースティックな感じで比較的おとなしく聴けるものをセレクトした。 リードヴォーカルは,この日の主役ということで全曲 SUYAMA が担当。 SUYAMA としては,パーティー終盤の「ご歓談」を妨げないように BGM にもなるような(内容・音量の)演奏をと思っていたようであるが,一応ロックバンドでドラムもいる上,歌っているのがこの日の主役では,無視して歓談しろと言う方がムリというものである。
その後,この日の(真の)主役たる新婦と,友人である司会の女性とをヴォーカルに迎えて2曲演奏した。 うち1曲はメンバー全員原曲を聴き,ある程度の準備の上で臨んだが,もう1曲は急遽決まったこともあって,メンバーのほとんどがまともに曲を聴いたことがなく,しかも聴いたことがないまま強引に演奏したため,出来は「推して知るべし」というようなものであった。 しかし,そこはさすが “人生の大舞台” 結婚式である。 期せずして感動的なシーンとなり,我々は,それを背後で優しく支えた“ニクイやつら”(?) ということになった。 ありがたい話である。 ・・・出席者の皆さん,出来ればライヴハウスにも来てください。
 
ということで,終わってみればなかなかの結果で,しかもおめでたいのだから,言うことなしである。
ところで,アマチュアバンド関係の友人の中には,結婚後,配偶者からバンド活動を制限されてしまう輩がいる。 嘆かわしいことだが,それが現実というものである。 しかしながら,この日の功績により,SUYAMA 家でそのような事態が生じるのを,当面の間,防止することに成功したのではないか・・・と,密かにほくそ笑む我々であった。
 
2004年 8月 野外ライヴ @ 四の橋白金夏まつり (白金)
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以前からメンバーの間で「野外で演奏したい」という話は出ていたが,そもそもライヴ自体を出来ない日々が続いたため,実行できなかった。 しかし,ついにその日がやってきた。
 
この夏まつりのステージ,もともとは他にもバンド出演があるだろうとの予想でエントリーしたのだが,フタを開けてみるとバンド演奏は我々だけということが発覚,アンプ類をレンタルなどして持ち込まなければいけなくなった。 これは,普段「面倒くさくないこと」を基準にライヴの場所や出演順を決めている我々にとって,十分すぎる脅威である。 しかも,当然のことながら,夏まつりのステージでは当日,じゃんけん大会や地元の方々の踊りなど,次々といろいろな催しがあるため,セッティングや音出しに時間をかけている場合ではないことも予想された。
イベントという割にははっきりしたタイムテーブルもなく,結局なんのこっちゃ良く分からないまま当日を迎えたが,実際に現地に着くと,ステージが予想以上に狭く,機材を並べられるのか怪しい上,置けたとしても出演者は立ち位置から一歩も動けないであろうことが判明した。
 
さて,このような「とても面倒くさい」というピンチ (?) に我々はどうなったか?
・・・実は,メンバーの多くは他にもいろいろなバンドで活動してきた(現在もしている)男達で,それがこのバンドではナマケモノの皮をかぶっていただけなのである!(`・ω・´) 正体を現した (?) 我々は,瞬く間 (?) にステージのセッティングを終え,最小限の音出しだけで,それまで押し気味だった時間を予定通りまで立て直して,ライヴをスタートさせた。
 
こうして始まったライヴ,音響を担当してくれた業者の方々は制約の多い状況下で頑張ってくれたが,それでもやはり限界があり,モニター環境はお世辞にもいいとは言えなかった。 野外での演奏の把握はモニター頼みであるため,自分達が何をやっているのか把握できない場面が多く,果たしてまともなことをやったのか,全体のバランスはどうだったのか,謎のままである。
・・・とはいえ,モニター環境が良くないのはライヴハウスでもありがちなことだし,何といっても,大勢の観客が集まってくれて,しかも途中で立ち去ることもなく聴いてくれたのは,とてもありがたいことだった。 やはり,野外ライヴの開放感はいいものである。(もっとも,集まった人たちの目的は,次のダンス部のパフォーマンスだったという説もある。(´・ω・`)
祭りを手伝っていた高校生達も観に来てくれた。 演奏中の「なんだか良く分からない」という反応は1月のライヴのときと変わらないが,屋外の開放感も手伝ってか,曲間には黄色い声援が飛んだりした。 何といっても,普段は厳しい顔をしているらしい SUYAMA の人気は急上昇,「SUYAMA センセー,かっこいーー!!」という声が飛び交いまくっていた。 “・・・オレも教師になればよかった・・・” と思った筆者Bであった(ちなみに,教員免状は持っている)。 また,聞くところによると,バックステージでスタンバっていたダンス部員は曲に合わせて “泳いでいた” というからエライ。 今後につなげたいものである。
 
ということで,演奏内容は謎に包まれたままだが,観客にも恵まれ,楽しい野外ライヴだった。 欲を言えば,SUYAMA に黄色い声援を送っていた諸君は,次回からは他のメンバーにも気を遣ってほしいものだ (爆)。
 
2006年 8月 野外ライヴ @ 白金・四の橋夏まつり (白金)
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散発的にスタジオに集まったりはしていたものの,諸般の都合により,なかなか計画的に練習ということも出来ず,低空飛行な日々が続いていた。 そんな我々の背中を押したのは,「夏祭り」というハッキリした日程のイベントだった。 ……というわけで,2年ぶりのライヴは,再び白金・四の橋夏まつりの屋外ステージということになった。 (ちなみに,この1年前にも夏祭り出演の話はあったのだが,メンバーの都合がつかず,お流れになっていた。)
 
我々にとっては既に勝手知ったる場所である。 ステージが狭いこともバンド演奏が我々だけであることも織り込み済み,モニター環境がバンド向きではないことも承知の上。 衆人環視の中での音出し・リハーサルだけはどうにも慣れないものだったが,知らない人たちがこれだけ集まってくれて,しかも帰らずに聴いてくれるような機会など,そうあるものではない。 我々の演奏歴の中ではいちばん長く,約1時間にわたって,比較的のんびりと演奏を繰り広げた。 折しも,商店街は夕暮れから少しずつ夜に包まれていく。 その移り変わりの美しさが,野外ライヴ気分をいやが上にも盛り上げてくれた。
演奏のほうは,借りてきたギターアンプが不調だったりしてノートラブルとはいかなかったが,おおむね好評で,会場は楽しい雰囲気に満ちていた。 やはり,野外ライヴはいいものである。
そして,今回も SUYAMA の人気は絶好調。 これを利用しない手はない。 普段のライヴでは,楽器を持ち替える必要のない WATANABE がMCを担当するが,今回はもちろん SUYAMA にMCを振って,更なる人気をあおった。 おかげでアンコールの声がかかったりしたが,実は事前に「アンコールはない」と判断していたため予定曲をやり尽くしてしまっていた……これは失敗だった。 長年やってるバンドなのだから,こういう不測の事態にも応えられるようにしたいものである。
 
ということで,ライヴハウスにもこれくらい人が集まってくれたら言うことなしなのだが,それはムリとしても,久々のライヴは楽しいものであった。 やはりバンドはライヴをしてナンボ,と再認識した真夏の夕暮れどきだった。
 
2006年 8月 上記夏祭りを最後に ARITSUKA 脱退。
2006年10月 転勤から戻ってきていた TAKI (key, vo) が復帰。
2007年 4月 SUZUKI (dr) が脱退。 忙しくて練習スケジュールがなかなか取れなくなっていたので,仕方ない。 社会人バンドのツライところである。
2007年 6月 TOMIZAWA (dr) が加入。 SUZUKIの脱退で先行きが危ぶまれていた矢先であり,にわかに活気づく。
2007年12月 ライヴ @Welcome back (大塚)
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STAMPEDE は,世の中にあまたあるアマチュア・ロックバンドの中でも,なかなか珍しい種類の音楽をやっているバンドであるらしい。 いや,ことリスナーの立場に立つなら むしろ「王道」とさえ言える音楽であるはずなのだが,リスナーにとっての「王道」が,プレイヤーにとって人気のあるタイプの音楽とは限らないわけで,その意味で,STAMPEDE は「世間的な高評価のわりには実際に演奏しようとするアマチュアが少ない」という方向の音楽をやっているようなのである。 なにしろ我々はそういうのを好きこのんでやっているわけだから,これは,このバンドの重要なアイデンティティと言えないこともない。
しかも,我々の場合,がんばって個性的であろうとしているわけではなく,ごく自然にそうなっているのだから,ある意味,アイデンティティの最も理想的な姿かもしれない。 イキがって無理に「俺たちはアイツらとは違うんだぜ!」なんてやらなくても,ひたすら王道を突き進むだけで勝手にみんなが道を開けてくれて,結果,個性的なバンドになっているというわけである。 その上,我々の音楽性はリスナーにとっての王道なのだから,聴き手に優しい。 ……いやはや,素晴らしい話である(←以上,自画自賛)。
 
と,ここまでは まことに結構な話なのだが,1つ落とし穴がある。 それは,「実際に演奏しようとするアマチュアがいない」がゆえに,メンバー探しが大変だということである。 社会人バンドの常として仕事の都合などによるメンバーの交代は避けられないものなのだが,そのときの後任探しはいつも難航してきた。
昨年から ARITSUKA・SUZUKI が相次いで脱退したため,またそういう暗い日々が始まるのかというムードが漂っていたのだが,ふたを開けてみれば,かつてのメンバー TAKI (key, vo) がパワーアップして復帰し,さらに新メンバー TOMIZAWA (dr) の加入が決まり,これまでになくスムーズなメンバーチェンジが行なわれた。 そして,不安があったぶん,一転して晴れ渡ったバンドにはエネルギーが注入され,にわかに活気づいてきた。
 
で,その勢いのまま,久々のライヴとなった。 (なお,ここまでが前フリである)
 
まずは勝手の分かった場所ということで大塚の Welcome back を選び,いつもどおりトップバッターで出演した。 (久しぶりの Welcome back はグランドピアノ設置によりステージが狭くなってしまっていた。)
残念ながらノートラブルとはいかない面もあったが,大過なく10曲を演奏し,メンバーが替わった今も安定した演奏をするバンドであることを証明した(かもしれない)。 それだけにとどまらず,かつての在籍時には歌わなかった TAKI がコーラスをとり,SUYAMA がMCを買って出るなど,着実に次への手を打っているのも,我々の抜け目ないところである(?)。
動員の面では,さすがに夏祭りのように不特定多数が集まってくれるというわけにはいかなかったものの,来てくれた人にはおおむね好評で,「まだまだいける!」という確信,と同時に,自分たちの中で更に改善すべき点も見えて,実りある1日になった。 普段アルコール度数の低いこのバンドには珍しく打ち上げも行なって,いい気分であった。
 
ところで,この表の上のほうを見てもらえばわかるとおり,気がつけば STAMPEDE というバンド名をつけて 10年ということになる。 ところが,今,我々は「ひと区切り」などという意識とはまるで無縁である。 むしろ,「次に何をやろうか!?」ということで頭がいっぱいなのである。 ここを読んでいる人は,ぜひ今後のライヴも観にきていただきたい。
 
2008年 3月 TAKI (key, vo),再び転勤のため脱退。
またすぐライヴをやろう!と言っていた当人が脱退ということで,なにしろ社会人バンドは大変である。 栄転ということなので,この際だから大活躍して,そしてまた戻ってきて欲しいものである。  
2008年 6月 PETER (key, vo) が加入。
STAMPEDE のような音楽性のバンドで,あまり間をおかずに次のキーボードが見つかるというのは幸運以外の何者でもない。 結成以来続いてきた4声によるヴォーカルワークの一角がついに崩れるかと心配していたが,その点も満たされるとは,本当にラッキーである。  
2008年12月 ライヴ @KABUTO (渋谷)
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新キーボードを加えて1年ぶりのライヴ,演奏そのものはいつもどおりという感じだったが……客すくな!! ということで,動員面で大いに課題を残す結果になった。 ここをご覧のみなさま,だまされたと思ってゼヒ1度我々のライヴに足を運んでください!
 
2010年 1月 ライヴ @Welcome back (大塚)
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この日,Welcome backの出演者は我々だけ……ということで,開店して,我々が演奏して,すぐ閉店という,なんともまあ,ちょっと情けない状況であった。 しかし,その理由もちょっと納得できた。 噂には聞いていたが音響面が以前に比べてかなり退歩しており,ステージ上もモニターが返らず訳の分からない状態だった上に,聴きに来てくれていた元メンバーARITSUKA氏の話では,客席側も「リードギターよりもバッキングのギターのほうが(音量が)大きい(ミキシングだった)」という有様。 気軽に出られるいい店として評判高かっただけに,この変わりようには少し(いや,かなり)落胆させられた。
 
2010年 2月 ライヴ @HOTコロッケ (瑞江)
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2011年12月 ライヴ @Club Edge Roppongi (六本木)
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